江戸時代の猫の価格

小判をかじる猫

松浦静山『甲子夜話』

『甲子夜話』(かっしやわ)は、平戸藩主だった平戸松浦家34代・清(きよし)の随筆です(静山は号)。文政4(1821)年11月17日の「甲子の夜」から書き始められ、天保12(1841)年6月死去まで書き続けられました。正編100冊・続編100冊・三編78冊の合計278冊、約7,000項目と長大。内容は、見た事・聞いた事を片っ端から書き留めたもので、確かな根拠のある事実、ゴシップのような小話、嘘か本当かわからないような化け物話、ただの覚え書、和歌、挿絵、さらに大塩平八郎の乱や諳厄利亜(あんげりあ=イギリス)船の詳細等々、実に多様です。

その中に、猫の話が出てきます。以下、すべて楽天KOBOで購入した電子書籍『甲子夜話』からの引用になります。


猫の価は金五両位

まず、『甲子夜話2』の「巻二十〔二二〕」に、山猫の話があります。谷文晁という人物から聞いた話だそうです。中山備州という男が、常州(下総国に属する南西部を除く現在の茨城県の大部分)で猟をしていたとき、逃げる男とそれを追いかける山猫に遭遇しました。その山猫は犬より大きく、毛色は紫色、牙をむいて男を追っています。備州は持っていた鉄砲でその山猫を撃ち殺し、皮を剥いで袖の無い羽織に仕立て、しばらく自分で着たあと、出入りの医者に与えた、ということでした。

それに続く「巻二十〔二三〕」に、猫の価格の話が出てきます。以下、〔二三〕の全文。

巻二十〔二三〕

晁又曰。獣毛に紫色は絶て無きものなるが、奥州の猫には往々紫色あり。その紫は藤花の紫色の如し。奥州は養蚕第一の国にて、鼠の蚕にかゝる防(ふせぎ)とて、猫を殊に選ぶことなり。上品の所にては、猫の価金五両位にて、馬の価は一両位なり。土地によりて物価の低昻かく迄なるも咲(わらふ)べし。山猫の紫色なるは、若や人家畜猫の老て山に入り物にやと云ふ。予先年旅行せしとき、備前の神崎かにて猫の圃中を歩するを見たり。大さ犬ほどありて尾は長く三毛なり。傍人に猫よ奇(くし)きものと云中に藪に入りたり。猫も大なる者まゝあり。

電子書籍『甲子夜話2』より、太字はnekohon

【大意】

猫と馬5頭

一両という金額が現代(令和)でいくらに相当するか、計算の方法によって30万円以上とするものから、3~4千円(幕末の頃)と安い計算まで色々あります。『甲子夜話』が書かれたのは江戸時代後半ですが、幕末まではまだ数十年あります。ここはとりあえずの目安として13万円で計算することにします。(※)

一両13万円なら、金五両は約65万円となります。これは現代のペットショップ/ブリーダーで購入する場合、ペットタイプではなく、ショータイプ(キャットショーに出すような猫という意味)になるでしょう。しかし、現代のショータイプの猫とは単に見てくれが良いというだけの猫であり、飼い猫として優秀かどうか(健康、賢い、性格が良い等)とは無関係です。それに対し、「上品の猫」とは、鼠取りが上手な猫のこと、つまりショータイプ猫よりはるかに実用的で人間の役に立ってくれる猫ということになります。そう考えれば納得できる価格ではあります。

また、馬の価格の5倍という計算。現代の馬の価格は、品種や血筋等によってさまざまで、実質無料(廃馬とされた馬等)から、サラブレットの最高級の数千万と価格幅が大きいですが、一般的な乗馬・ペット用の馬は安い子は20万円前後から買えるようです。江戸時代は令和の今より馬の数は多かったですし(「生類憐みの令」では「捨て馬禁止令」もありましたが、つまり、馬は捨てられるほどいたということでしょう)、ここでいう一両の馬とは特別な馬ではなく、農耕馬等でしょうから、現在の最低価格の20万円くらい~それ以下と推定できるかと思います。そして猫の価格が馬の5倍なら、約20万×5で約100万円。65万円よりは高いものの、現代でもチャンピオン猫であれば珍しくはない価格です。

平岩米吉『猫の歴史と希話』より

平岩米吉『猫の歴史と希話』は、1992年発行とやや古いものの、猫に関する名著として、今もよく知られている本です(築地書館)。

第8章で、上記『甲子夜話』も紹介されていますが、それに続けて下記の表記がありますので引用します。なお、本来であれば文中の『よしの冊子』を入手して確認したいところですが、現在のところ入手にいたっていないため、股引きの形になりますことをお許しください。

南部などはいかに馬の多いところであっても猫が馬の価格の五倍というは、あまり極端すぎるようだが、寛政三年頃(一七九一年)鼠が異常発生し、その大群が濃州(岐阜県)勢州(三重県)尾州(愛知県)のあたりを荒らしまわった折、猫がやはり非常な高価になったことが、松平定信の近習、水野為長の『よしの冊子』(同年四月二十一日の項)に記されている。

「二、三年以前より鼠多く、家内へ出候て昼夜の差別無ㇾ之あばれ、食事等致し候節も、膳の食をとり肴なども取候て、公然とざしきをあばれあるき候よし」、あるいは、「この節、はやり鼠出候て、茄子、ささげ等其外畑もの不残喰尽し候」などとある。そこで、「此の外、猫至りてはやり、逸物の猫は金七両弐分、常の猫五両、猫の子二、三両ぐらいの由」という結果になったのである。(この項、園江稔氏報)

ISBN4-8067-2339-8 page 229

五両よりさらに高価で七両弐分!人々がどれほど鼠になやまされていたかがわかる話ですね。

五両や七両どころの話ではないかも

『甲子夜話』に話を戻します。

世間では「五両」という部分ばかり取り上げられているようですが、私は別の個所の方が気になります。

そうです、「奥州の猫には往々紫色あり。その紫は藤花の紫色の如し」の部分です。「えっ、紫色の猫?」と思いませんか?そんな猫、見たことありますか?猫でなくとも、紫色の哺乳類なんて、見たことありますか?

もし本当に天然に紫色(藤色)の猫がいたら、今なら数千万円単位(下手すれば億単位)で間違いないと思うのですが!

藤色の猫と藤の花

現在もっとも高額な猫種は「アシェラ」の数百万~1500万円と言われています。しかしアシュラの毛色は野生の猫たちにふつうにみられるもの。一方、遺伝学上非常に希少な「三毛猫の雄」は最高なんと2000万~3000万円との噂もあります。

紫色(藤色)の哺乳類なんていませんから、もし本当に紫色の猫ならば、アシュラよりも、三毛猫の雄よりも、はるかに高額となること必須でしょう。

というわけで、猫の価格が馬の五倍な話より、「藤花の紫色の如し」な猫の記述の方が気になる私です。

どんな色の猫だったのでしょうね?レッドフォーンとブルーフォーンがまざったようなサビ猫で光線の具合によっては紫っぽく見える瞬間もあるかも、なんて想像してみますが、それでも無理っぽい気がします。

鼠取りが上手で値五両の藤色の猫、ぜひ会ってみたいものです。

いえ、『甲子夜話』の五両の猫の前の項に出てくる「人間の男を襲うほど獰猛な紫色の山猫」の方がもっと見てみたいかも?そりゃもう希少も希少、激レアすぎる生き物ってことになりますから!

藤色の猫と紫色の山猫の頭、藤の花

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