南泉斬猫

なんせんざんびょう(なんぜんざんびょう)

南泉斬猫

「南泉斬猫」とは

禅宗の有名な「公案」。出典は無門関第十四則。

『公案』とは、

公案(こうあん)とは、禅宗で修行僧が参究する課題である。日本では昔から1千7百則とも言われ、法身、機関、言詮、難透などに大別されるが、その他に様々な課題がある。内容はいわゆる禅問答であって、にわかに要領を得ず、解答があるかすら不明なものである。有名な公案として「隻手の声」、「狗子仏性」、「祖師西来意」などがある。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

南泉斬猫」はどんな公案か、わかりやすく説明すると;

ある時、東堂の僧たちと西堂の僧たちとが、一匹の子猫をめぐって争っていました。その様子を見た南泉は、子猫をつかみあげて言いました。
「僧たちよ、ずばり言ってみせよ。言い得ないなら、この子猫を切り捨ててしまうぞ」
ところが誰も答える者がいません。とうとう南泉は子猫を一刀両断に斬ってしまいました。
その後、趙州が外出先から帰ってきたので、その出来事を話しました。すると趙州は、履( くつ )を脱いで、それを自分の頭の上に載せて出て行きました。それを見た南泉はつぶやきました。
「もしお前があの場にいてくれたら、わしは子猫を斬らずにすんだのになあ」

(以上文責nekohon)

この公案を示された修行僧たちは、なぜ南泉は子猫を切ったのか、とか、なぜ趙州はくつを頭に乗せたのか、なんてことを議論する。禅宗の世界では有名な公案で、難解だという点でも有名。

解釈

原文は簡潔すぎる文章で、何が・何を・何故等の説明がなく、さまざまな解釈が可能。

僧たちは何を争っていたのか

「東と西、どちらがその仔猫を飼うか」または「猫に仏性はあるか否か」。

南泉は何を問うたのか

「禅とは何か一言で言え」「猫に仏性はあるかないか」「禅でいう仏性とは何か」等。

猫を斬ったことについて

「南泉が斬ったのは生身の猫ではない」「対立の根を斬った」「人間の欲を斬った」「分別妄想を斬った」「仏を斬った」等。

趙州がくつを頭に乗せたことについて

「対立するふたつのもの(有無)を、頭という思慮分別の場にのせてひとつにまとめた」「履を頭に乗せて出ていくという、分別や理屈を超えたその所作は無分別智を体現したものである」「足の下にあるもの=全宇宙を頭の上に載せて生かした」等。

原文

長良川画廊Web書画ミュージアムより。リンク先ではもっと大きな画像で見る事ができます。

【原文】

 南泉和尚因東西両堂爭猫兒 泉乃提起云 大衆道得即救 道不得即斬却也 衆無對 泉遂斬之 晩趙州外歸 泉擧似州 州乃脱履安頭上而出 泉云 子若在即救得猫兒

 無門曰 且道趙州草鞋意作麼生 若向者裏下得一転語 便見南泉令不虚行 其或未然 険

 頌曰  趙州若在 倒行此令 奪却刀子 南泉乞命

【訓読】

 南泉和尚、因に東西の両堂、猫兒(みょうに)を爭う。泉乃ち提起(ていき)して云く、大衆道い得ば即ち救わん。道い得ずんば即ち斬却せん。衆、對うる無し。泉遂に之を斬る。晩に趙州外より歸る。泉、州に擧似(こじ)す。州乃ち履(くつ)を脱(だっ)して頭上(づじょう)に安(あん)じて出づ。泉云く、子若(なんじも)し在(いまし)なば即ち猫兒を救い得てん。

 無門曰く、且く道へ、趙州草鞋(そうあい)を頂(いただ)く意作麼生(いそもきん)、若し者裏(しやり)に向って一転語(いつてんご)を下し得ば、便ち南泉の令虚(みだ)りに行(ぎよう)ぜざることを見ん。其れ或は未だ然らずんば、険(けん)。

 頌に曰く  趙州若し在らば 倒(さかしま)に此の令を行ぜん 刀子を(とうす)を奪却(だつきやく)せば 南泉も命(めい)を乞わん

人物

南泉

南泉普願(なんせん ふがん)。
中国の唐代の禅僧。俗姓は王。鄭州新鄭県(河南省鄭州市新鄭市)の出身。

天宝7載 – 大和8年12月25日(748年 – 835年1月27日)。
生地:鄭州新鄭県
没地:池州池陽県南泉山
宗派:禅宗
寺院:池州池陽県南泉山
師:馬祖道一
弟子:趙州従諗、長沙景岑

(参考:Wikipedia、2023/7/9)

趙州

趙州従諗(じょうしゅう じゅうしん、英語: Zhaozhou Congshen)。
中国の唐代の禅僧。諡は真際禅師。俗姓は郝。曹州済陰県[1]郝郷の出身。中国禅僧の中で最高峰の高僧とされ、五代十国時代の混乱した北方において禅を説いた禅者として臨済義玄と並び称される。

大暦13年 – 乾寧4年11月2日(778年 – 897年11月29日)。
諡号:真際大師
生地:曹州済陰県郝郷
没地:趙州観音院
宗派:禅宗
寺院:曹州龍興寺、趙州観音院
師:南泉普願、黄檗希運、塩官斉安
著作:『趙州真際禅師語録』

(参考:Wikipedia 2023/7/9)

『正法眼蔵随聞記』嘉禎元年(1235)~同4年(1238)

曹洞宗の開祖・道元禅師の垂示を、高弟の懐弉(えじょう)が忠実に記録した書物。難解な『正法眼蔵』(道元著)と異なり、こちらは平易な話し言葉で誰でも分かりやすい。

その中に「南泉斬猫」について書かれた部分がある。簡単にまとめれば、道元は「この公案の解釈として、「猫の体=仏身」と見るべきなのだと言い、この猫を切ることはそのまま仏としての行いであると同時に、罪相でもある」としたという。

大衆道ひ得ず、良久不対(りょうきゅうふたい)ならば、泉道ふべし『大衆已(すで)に道ひ得ず』と云つて、猫児を放下せまし。

但し、かくの如くの料簡、たとひ好事なりとも、無からんには如かじ。

【口語訳】
大衆が一言も言うことができず、しばらくの間、何も答えなかったならば、南泉はこう言うのがよい、『大衆は、もう言うことができないのだ』と。こう言って、猫を放してやるであろう。
ただし、南泉のこのような手段は、たとい、よいことだとしても、ないに越したことはないだろう。

詳細はこちら↓のページ参照。

御伽草子『猫の草子』

「御伽草子」は、室町時代につくられた散文体の読物の総称。中の『猫の草子』に、「南泉斬猫」の言葉がチラっとだけ出てくる。

『猫の草子』のあらすじは、慶長七年(1602年)、京に高札が立ち、猫の繋ぎ飼いと売買が禁止された。猫たちが紐を解かれて自由に京中を歩くようになって、たちまち困ったのが鼠たち。ある尊い僧侶の夢に現れて、どうにかしてくれと懇願する。すると翌夜には猫が夢に現れて、今まで繋がれてどれほど苦労してきたか、鼠が猫にとってどれほど重要な食料であるか等と説明。和尚さんに相談しても埒が明かないと知った鼠たちは、とうとう大挙して京を逃げ出した、というもの。

その僧が猫との会話の中で以下のように言う。

「猫の言はれよう、近ごろ神妙なり。南泉斬猫の心を思へば、切るとも、いかで変へん。さりながら、ここにわびたきことあり。出家の役にて、かやうのことを見ては、おかぬ法なり。あつかひに入りたきとの理(ことわり)なり。(後略)」

小学館・日本古典文学全集36『御伽草子集』より

【口語訳】

「猫のいわれるところは、まことに殊勝である。南泉が猫をお斬りになった意味を思うと、斬られても、どうして志を変えようか。しかしながら、ここに困ったことがある。出家の役として、このようなことを見たうえは、そのままにしておかないのが決まりである。仲裁にはいりたいという道理である。

(校注・訳者:大島武彦)

と、これだけの言葉なので、この僧が「南泉斬猫」をどう解釈し、どういうつもりで言ったのかははっきりしないのだが、ここの部分だけを読む限りでは、南泉が猫を斬ったのはその殺生を好む性質の為ということか?

ところでこの僧は、

悪を捨てて善に進み、朝(あした)には天長地久(てんちやうちきう)、夕(ゆふべ)には現世安穏後生善処(げんぜあんをんごしやうぜんしょ)のいたり、法界平等利益(ほふかいびやうどうりやく)と願ひし、(中略)

かかる特賞の道理をば、鳥類畜類までも知り侍るか、ある夜、(後略)

【口語訳】

悪を離れて善に向かい、朝には、この世が天地とともに永久に続くように、夕方には、この世がやすらかで、のちの世で極楽に生まれることができ、すべての世界の生物が差別なく利益をこうむるようにと願った、(中略)このようなありがたい道理をば、鳥類や畜類までも存じているからであろうか、ある夜、・・・

(校注・訳者:大島武彦)

というような僧だった。鼠にはこうも言っている。

「草木国土悉皆成仏となれば、非情草木も成仏すと見えたり。いはんや、生あるものとして、一年弥陀仏則滅無量罪、唯心の弥陀、己心の浄土なり、ここを去ること遠からずと説き給へば、たとひ鳥類畜類たりといふとも、一念の道理によつて、成仏せずといふことなし」

【口語訳】

「草木や国土もすべて仏になるというのであるから、心のない草木も仏になると思われる。まして、命のあるものとして、一度阿弥陀仏を念ずるとたちまちはかりしれない罪も消滅する、ただ自分の心の中に阿弥陀も浄土もある、ここから遠く離れていない所に阿弥陀も浄土もあると説いておられるので、たとえ鳥類や畜類であっても、一度阿弥陀仏を念ずるという道理によって、仏にならないということはない」

(校注・訳者:大島武彦)

であれば、もし「南泉斬猫」の問の一つが「猫に仏性はあるか否か」であるとすれば、猫にも仏性はあるというのがこの僧の答えということになるだろうか。

三島由紀夫『金閣寺』

昭和25年(1950年)、国宝・金閣寺が焼失した。放火だった。犯人は21歳の学僧。

三島由紀夫(1925-1970)の小説『金閣寺』(1956年)は、この衝撃的な事件を題材に、若い魂の葛藤と当時の世相を巧みに編み込んた傑作である。金閣寺を有する鹿苑寺は臨済宗相国寺派であることから、小説では始終禅寺での毎日が綴られることになる。

公案「南泉斬猫」は3か所で言及されている。(抜粋してまとめようと思ったが、三島の文章は一語とて省略を許さない名文なので、そのまま書き出す。)

第三章

1回目は、終戦の夜、老師の居室で行われた講和の場だった。

(前略)むかしから難解を以て鳴る公案である。

唐代の頃、池州南泉山に普願禅師という名僧があった。山の名に因んで、南泉和尚と呼ばれている。

一山総出で草刈りに出たとき、この閑寂な山寺に一匹の仔猫があらわれた。ものめずらしさに皆は追いかけ廻してこれを捕え、さて東西両堂の争いになった。両堂互いにこの仔猫を、自分たちのペットにしようと思って争ったのである。

それを見ていた南泉和尚は、忽ち仔猫の首をつかんで、草刈り鎌を擬して、こう言った。

「大衆道(い)い得ば即ち救い得ん。道い得ずんば即ち斬却せん」

衆の答はなかった。南泉和尚は仔猫を斬って捨てた。

日暮れになって、高弟の趙州が帰ってきた。南泉和尚は事の次第を述べて、趙州の意見を質(ただ)した。

趙州はたちまち、はいていた履を脱いで、頭の上にのせて、出て行った。

南泉和尚は嘆じて言った。

「ああ、今日おまえが居てくれたら、猫の児も助かったものを」

―――だいたい右のような話で、とりわけ趙州が頭に履をのせた件りは、難解を以てきこえている。

しかし老師の講話だと、これはそれほど難解な問題ではないのである。

南泉和尚が猫を斬つたのは、自我の妄念迷妄の根源を斬つたのである。非情の実践によつて、猫の首を斬り、一切の矛盾、対立、自他の確執を断つたのである。これを殺人刀と呼ぶなら趙州のそれは活人剣である。泥にまみれ、ひとにさげすまれる履というものを、限りない寛容によって頭上にいただき、菩薩堂を実践したのである。

第六章

つぎは、大谷大学の友人「柏木」と主人公「私」の会話の中で。大谷大学は仏教系の大学である。

「君は『南泉斬猫』の公案を知ってるだろう。老師が終戦のとき、皆を集めてあれの講話をしたんだけど、・・・・・」

「『南泉斬猫』か」と柏木は、木賊の長さをしらべて、水盤にあてがってみながら答へた。「あの公案はね、あれは人の一生に、いろんな風に形を変えて、何度もあらわれるものなんだ。あれは気味のわるい公案だよ。人生の曲り角で会うたびに、同じ公案の、姿も意味も変っているのさ。南泉和尚の斬ったあの猫が曲者だったのさ。あの猫は美しかったのだぜ、君。たとえようもなく美しかったのだ。目は金いろで、毛並はつややかで、その小さな柔らかな体に、この世のあらゆる逸楽と美が、バネのようにたわんで蔵(しま)われていた。猫が美の塊まりだったということを、大ていの註釈者は言い落としている。この俺を除けばね。ところでその猫は、突然、草のしげみの中から飛び出して、まるでわざとのように、やさしい狡猾な目を光らせて捕われた。それが両堂の争いのもとになった。何故って、美は誰にでも身を委せるが、誰のものでもないからだ。美というものは、そうだ、何と云ったらいいか、虫歯のようなものなんだ。それは舌にさわり、引っかかり、痛み、自分の存在を主張する。とうとう痛みにたえられなくなって、歯医者に抜いてもらう。血まみれの小さな茶いろの汚れた歯を自分の掌にのせてみて、人はこう言わないだらうか。『これか?こんなものだったのか?俺に痛みを与へ、俺にたえずその存在を思いわずらわせ、そうして俺の内部に頑固に根を張つていたものは、今では死んだ物質にすぎぬ。しかしあれとこれとは本当に同じものだろうか?もしこれがもともと俺の外部存在であったのなら、どうして、いかなる因縁によって、俺の内部に結びつき、俺の痛みの根源となりえたのか?こいつの存在の根拠は何か?その根拠は俺の内部にあったのか?それともそれ自体にあったのか?それにしても、俺から抜きとられて俺の掌の上にあるこいつは、これは絶対に別物だ。断じてあれじゃあない』

いいかね。美というものはそういうものなのだ。だから猫を斬ったことは、あたかも痛む虫歯を抜き、美を剔抉したように見えるが、さてそれが最後の解決であったかどうかわからない。美の根は断たれず、たとい猫は死んでも、猫の美しさは死んでいないかもしれないからだ。そこでこんな解決の安易さを諷して、趙州はその頭に履をのせた。彼はいわば、虫歯の痛みを耐えるほかに、この解決がないことを知っていたんだ」

解釈はいかにも柏木一流のものであつたが、それは多分に私にかこつけ、私の内心を見抜いて、その無解決を諷しているように思われた。私ははじめて柏木を本当に怖れた。黙っていることが可怕かったので、さらにたずねた。

「君はそれでどっちなんだ。南泉和尚かい。それとも趙州かい」

「さあ、どっちかね。いまのところは、俺が南泉で、君が趙州だが、いつの日か、君が南泉になり、俺が趙州になるかもしれない。この公案はまさに、『猫の目のように』変るからね」

第八章

最後は、「私」がいよいよ金閣寺を焼やす妄想に囚われてから、同じく「柏木」と。

「(前略)認識は生の耐えがたさがそのまま人間の武器になったものだが、それで以て耐えがたさは少しも軽減されない。それだけだ」

「生を耐えるのに別の方法があると思わないか」

「ないね。あとは狂気か死だよ」

「世界を変貌させるのは決して認識なんかじゃない」と思わず私は、告白とすれすれの危険を冒しながら言い返した。「世界を変貌させるのは行為なんだ。それだけしかない」

果して柏木は、その冷たい貼りついたような微笑で私をうけとめた。

「そら来た。行為と来たぞ。しかし君の好きな美的なものは、認識に守られて眠りを貪っているものだと思わないかね。いつか話した『南泉斬猫』のあの猫だよ。たとえようもない美しいあの猫だ。両堂の僧が争ったのは、おのおのの認識のうちに猫を護り、育み、ぬくぬくと眠らせようと思ったからだ。さて南泉和尚は行為者だったから、見事に猫を斬って捨てた。あとからきた趙州は、自分の履を頭に乗せた。趙州の言おうとしたことはこうだ。やはり彼は美が認識に守られて眠るべきものだということを知っていた。しかし個々の認識、おのおのの認識というものはないのだ。認識とは人間の海でもあり、人間の野原でもあり、人間一般の存在の様態なのだ。彼はそれを言おうとしたんだと俺は思う。(後略)」

【注】引用文の太字はもとは傍点(強調や注意喚起のため文字列の横/上につける点のこと)。

個人的感想です

私(nekohon)は仏教とは無縁の家に育ち、仏教の素養も何もありません。この公案を読んで思った感想を、深い解釈なしで、素直にそのまま。

僧たちは猫について、何を争っていたのか

東西どちらがその猫をペットにするか、でしょう。

だって、禅の公案としては別に「「狗子仏性(くしぶっしょう)」=狗子還た仏性あり也無(犬に仏性はあるか)」というのもありますよね?なぜ同じ課題を猫に替えて繰り返す必要がある?むしろここは、あまりにかわいい子猫ちゃんに僧たちがメロメロになって修行も忘れて「自分達で飼う!」「いや、こっちで!」と争って、それを見た南泉があきれてつい「斬っちゃうぞ」と言った、という方が流れとしておもしろいような。(つまり、ペットとして争うという話の方が私好みというだけです。)

猫に仏性はあるか否か

考えるまでもない、あるに決まっています。だって『猫の草子』の僧のいうとおり、「草木国土悉皆成仏」なのですから。私にいわせれば、人間より猫の方がはるかに無欲で無我で無心で、仏様に近い存在です。ですから、南泉が問うたのは、「禅とはなにか」というような、もっと大きな課題でしょう。

猫を斬ったことについて

実際に斬ったかどうかはこの際問題ではありません。それより問題なのは、そもそも僧侶のくせに、猫を斬るとか斬らないとか、そんなことをチラリとでも思いつく方が間違っている、オカシイ!ましてもし実際に猫に刃物を当てたり、まさか本当に斬ったりしたのなら言語道断、僧侶失格、許せん!!!

それにしても、南泉といいシュレディンガーといい、何故そう猫を殺したがるんでしょうねえ・・・?

趙州がくつを頭に乗せたことについて

私の解釈は、「猫を斬るような男を自分は師と仰いでいたのか、まるで泥靴を頭上に掲げて拝んでいたようなものではないか、我が身まで汚辱されてしまった、もはや立ち去るのみ」です。

(でも、趙州の「狗子仏性(くしぶっしょう)」の答えは「無」だそうで。禅問答って、ホントよく分からん・・・)。

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