猫絵でネズミを防ぐ?

人類は、農耕の開始と同時に鼠になやまされるようになった。鼠といえば、猫。農家に猫は必須だった。

一般的な農家以上に鼠を恐れたのが、養蚕農家。良く鼠を捕る優秀な猫は、金銭で売買されることもあり、中には高額な猫もいたという。

鼠の蚕にかゝる防(ふせぎ)とて猫を殊に選ぶことなり。上品の所にては、猫の価金五両位にて、馬の価は一両位なり。

松浦静山『甲子夜話2』

馬の5倍の価格とは驚くばかりだ。

しかし、すべての家がそんな優秀な猫を所有できたわけではない。そこで、生きた猫のかわりに(あるいは一緒に)、猫の絵も使われた。鼠は、猫を恐れるあまり、猫の絵さえも恐れて近寄らないというわけだ。

猫絵の中でも鼠防御の効果が高いとされたのが、身分の高い殿様が描いた猫絵。「猫絵の殿様」として有名な大名が群馬県に存在した。

「猫絵の殿様」

新田猫絵

江戸時代、「猫絵の殿様」として知られた大名がいた。それも一人ではなく、四代にも渡って。新田岩松(にったいわまつ)氏の殿様、義寄・徳純・道純・俊純である。

以下、落合延孝著『猫絵の殿様:領主のフォークロア』(吉川弘文館)より。

新田岩松氏は交代寄合(万石未満で常時江戸在府の義務を負わず、参勤交代を勤める)格の武家で、上野国新田郡下田嶋(しもたじま)村(現群馬県太田市)の館に居住し、毎年正月三日に江戸城で将軍に拝謁する任務を負っていた。

(中略)

養蚕の盛んな地域では、養蚕飼育の上で鼠は大敵とされ、この新田猫絵が鼠除けの効果があるものと信仰されていた。そして、一八世紀末頃から養蚕生糸が盛んとなるにつれて猫絵を所望する人々が多くなり、義寄・徳純・道純・俊純の四代の殿様が養蚕農民からの所望で猫絵を描いていたのである。この猫絵は江戸にも知られており、一九世紀中頃の嘉永・安政の頃に書かれた「真佐喜のかつら」の筆者青葱堂冬圃(せいそうどうとうほ)は、「上野国新田郡岩松氏の絵がきたる猫の絵を張をけば鼠出ずともてはやしぬ、されど世うつりはて験も失せるにや」(『未刊随筆百種』)と記し、猫絵を張れば鼠が出てこないともてやはされていたが、最近ではその効能が失せていると皮肉っている。

それでも、猫絵は養蚕農民には「蚕の神様」として重宝がられ、たとえば徳純は文化一〇年(1813)の九月から一〇月までの約一ヵ月間、善行寺参詣のため信州へ旅するが、沿道の役人クラスの町人・百姓から絵を所望され、一ヵ月間に三〇七枚の絵を描いている。猫絵を九六枚、疱瘡除けの護符の効能をもつ鍾馗(しょうき)の絵を三一枚、そのほかに墨画・福禄寿の絵などである。

合延孝著『猫絵の殿様:領主のフォークロア』(吉川弘文館)

似たような模様・ポーズだが、1枚目と2枚目の猫は微妙に異なっている。 

蚕種を海外に輸出するようになると、鼠害をふせぐ猫絵も船にのせられた。その結果、蚕種と一緒に猫絵も海外に海外に流出。新田岩松俊純が明治になって男爵になると、ヨーロッパでは「バロンキャット」(猫男爵)と呼ばれたそうだ。

ところで、この俊純については、神坂次郎が『猫大名』(『猫男爵』改題)という小説を書いている。昔の栄光はどこへやら、石高わずか百二十石の零細大名、しかしその「猫絵」は霊験あらたかと相変わらず人気で、波乱万丈な幕末~明治の世を、猫絵を描きながら切り抜けていく様子が面白く描かれている。

本の詳細はこちら↓

なお、柊あおい『バロンー猫の男爵』や、それを原作とするアニメ『猫の恩返し』(スタジオジブリ制作、監督:森田宏幸、2002年)とは無関係。

猫画でネズミを追い払えるなら、巨大猫=虎ならどうなる?

狩野常信「龍虎図」

犬に吠えつかれたときは、空中に「虎」という字を書けば犬は恐れて逃げていく、ただし犬は字が読める犬でなければならない、という話が、 十返舎一九『東海道中膝栗毛』 に出てくる。

(前略)あはや軒下の犬どもが、おきたちて吼かかれば、弥次郎兵へきょろきょろして「ヱゝこのちくしやうめらア。わるくふざいやアがる

ト石ころをひろひてうちつくれば、なおゝゝ犬はおこりたちてとりまく

北八「かみなさんな。犬までばかにしやアがる。ヲヤ弥次さん、おつな手つきをして、おめへ何をする

弥次「イヤ犬にとりまかれたときは、宙へ虎といふ文字をかいて見せると、犬がにげるといふことだから、さつきからかいてゐるが、ねつからにげやアがらぬ。こいつらアみんな、無筆の犬だそふな、シツシゝゝ

【注】東海道名所記、三に、大きな赤犬にほえたてられ、虎という字を書いて見せたが、田舎そだちの犬で字がよめず、尻にくいつかれたという話がのっている。

十返舎一九『東海道中膝栗毛』 五編下 岩波文庫 ISBN9784003002726

さすが虎の威力!・・・と、言いたいところだが、犬の識字率を考えると・・・にゃはは?

「猫絵」が出てくる本

猫が昔の日本人にとってどれほど有難い存在だったか。

 

小松エメルの短編小説『与市と望月』は猫絵を題材としてもの。「江戸猫ばなし」に収録されている。

こちらは同じ猫の絵でも、鼠防御のためではなく、愛猫の似顔絵を描きますよ、という絵師の小説。カメラの無かった時代、こんな需要も案外多かったかもしれない。

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