梅の花
うめのはな
猫の肉球跡=梅の花
猫の肉球の跡は、しばしば「梅の花」と形容されます。
文豪・夏目漱石の著『吾輩は猫である』の中にも、「梅の花」が出てきます。『吾輩は猫である』は1905年(明治38年)『ホトトギス』に発表されたのが最初ですから、もう100年以上も前なんですね。
幸い天気も好い、霜解(しもどけ)は少々閉口するが道の為には一命もすてる。足の裏へ泥が着いて、縁側へ梅の花の印を押す位なことは、只御三(おさん)の迷惑にはなるか知れんが、吾輩の苦痛とは申されない。
第「三」章、ISBN:4101010013 page106
ここで吾輩君が「道の為」などと大仰に言っているのは、吾輩君の主人・苦沙弥先生の悪口を言いふらす資産家・金田邸へ単身乗り込んで、敵情を探ってくるのが正義、人道の為だ、という計画のことです。しかしその直後に思い出したのが、自分は「悲しいかな咽喉の構造だけはどこまでも猫なので人間の言語が饒舌(しゃべ)れない」という事実。いくら金田邸を偵察しても、その結果を主人に報告できない。しかし、それなら無駄だ止めようとはならないのが吾輩君の偉いところで、自分だけでも奴らの欠点弱みを知る事ができれば愉快じゃないか、と、金田邸に忍び込みます。なお、只御三(おさん)とは下女のこと。
なるほど、そういわれてみれば、横から見た梅の花に似ていないこともないですね。
でもこの場合、梅の花に「形」が似ているかどうかよりも、梅の花の「可憐さ」と肉球跡の「愛らしさ」の相似性こそ、「肉球跡=梅の花」という連想の根源ではないかと、私は思うのでした。
梅に猫
『俳句・短歌・川柳と共に味わう 猫の国語辞典』三省堂(ISBN:9784385360676)という面白い本があります。そこに、肉球跡という意味での「梅の花」をよみこんだ歌や句こそ出てきませんが、「梅に猫」という項目があり、11句が紹介されています。
うめにねこ【梅に猫】 猫には梅が似合う。猫の肉球の跡って梅の花のスタンプのよう。
紅梅(こうばい)の咲くより猫の静か也(なり) 正岡子規 咲くより=咲き始めると
猫の恋老梅(ろうばい)幹を横(よこた)ふる 楠目橙黄子
梅二三輪(にさんりん)簪(かんざし)のごとし猫の恋 原石鼎 頭に梅の花びらをつけて
足ふるふ猫の往(ゆ)き来(き)やうめのはな 紫苑[江戸] 足についた花びらをふり払う
あさら井や猫と杓子と梅の花 一茶
あれち[散]らせ上野ゝ(の)梅に猫のこゑ[声] 厚風[江戸]
梅が香(か)や障子のそとに猫の声 安士[江戸]
梅が香や南へまはれ猫の鼻 冠那[江戸]
猫の訛(うそ)きく目も涼しむめ[梅]のはな 野坡[江戸]
梅が香に鼻うごめくや猫の妻 史邦[江戸]
梅が香や猫も息子も寄付かず 武玉川 恋の季節になったので
page16-17
こんな感じで、たくさんの俳句・短歌・川柳が、項目ごとにずらりと並んでいます。よくもまあこんなに集めたものだと感心します。詳細はこちらのページをご覧ください。↓