ねこまた(猫又/猫股)

ねこまた

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意味

「広辞苑」第六版(岩波書店)より

【猫股・猫又】猫が年老いて尾が二つにわかれ、よく化けるといわれるもの。

「日本語大辞典」(講談社)より

【猫又・猫股】年をとった猫で、尾が二つに分かれ、よく化けるといわれる想像上のもの。

【参考文献】

成語林』旺文社、『広辞苑』岩波書店、『大漢語林』大修館書店、『四字熟語の辞典』三省堂、ほか。参考文献の全リストはこちら

ねこまた

  

平岩米吉『猫の歴史と奇話』より「猫股」について

犬研究で有名な平岩米吉氏ですが、猫の研究もしています。『猫の歴史と奇話』は日本の猫本史に残る名著です。

その中で平岩氏は「第1章 猫の歴史」の中の「七、日本の猫股伝説」で2ページ、さらに「第2章 猫股伝説の変遷」で30ページも使って猫股(猫又)について書いています。以下、その抜粋です。詳しくお知りになりたい方は是非本を入手して読んでください。猫股だけでなく、猫全般についての知識満載の超お勧め本です。

なお、平岩氏は文中で「猫股」と表記していますので、ここでもそれにならいます。

一、最初の猫股

藤原定家の日記『明月記』に登場した猫股が最古(天福元年(1233年)8月、奈良)。その後は、『古今著聞集』(建長6年/1254年)、『徒然草』(1331年頃)と続く。

中国では『明月記』より600年も前も隋の時代に「猫鬼(びょうき)」という妖怪が登場、人を殺傷したりしたという。また金花にいるという「金花猫」は、3年飼うと屋上に登って日月の精を吸って怪異をなしたという。

平岩氏は、日本の猫又はこれらの伝説が渡来したもので、「もっとも、中国ではたいがいの動物が化けたので、(中略)猫などは妖獣の末輩にすぎない。(page39)」と書いている。

猫股の形態

  1. 非常に大きいこと。『明月記』の「犬ぐらいの長さ」から、『今昔妖談集』(寛永(1624-1644年)時代の随筆集)の「大きさ一丈(三m余)なる猫」まで。
  2. 尾が二股であること。
  3. 啼き声が異常に大きいこと。

猫股の怪異

  1. 踊る。手ぬぐいをかぶって踊ることも。
  2. 物を言う。
  3. 狐と交わる。
  4. 人に悪夢を見せる。
  5. 死人を踊らせる。

猫股の悪行

  • 化けて婦女を犯す。
  • 犬を食う。
  • 人を食う。

猫股の変身

  • 老女に化ける
  • 性質が老女に似る
  • 老女が猫に変身する
ねこまた

 

以上、簡単に箇条書きにしましたが、本ではずっと詳しく書かれています。

藤原定家『明月記』(鎌倉時代)

藤原定家『明月記』天福元年(1233年)八月二日条より。原文は漢文。

《書き下し文》

夜前、南京の方より小童来たり云ふ、当時南都に猫胯と云ふ獣出で来。一夜に人七八人を噉ふ。死する者多し。或は又、件の獣を打ち殺す。目は猫の如く、其の体、犬の長さの如しと云々。二条院の御時、京中に此の鬼来たる由雑人称す。又、猫胯の病と称し、諸人病悩するの由、少年の時、人之を語る。若し京中に及はば、極めて怖るべき事か。

以下2枚の画像はこちらからお借りしました。こういう貴重な資料を一般公開してくださって感謝♡
 藤原定家 著『明月記』第3,国書刊行会,1912.
 国立国会図書館デジタルコレクション
 https://dl.ndl.go.jp/pid/991255 (参照 2023-06-21)

吉田兼好『徒然草』に登場する猫又(室町時代)

『徒然草』に、人をとって喰うという猫又の話がでてきます。

第八十九段

奥山に、猫またといふものありて、人を食(くら)ふなる」と、人の言ひけるに、「山ならねども、これらにも、猫の経あがりて、猫またに成りて、人とる事はあなるものを」と言ふ者ありけるを、・・・(以下略)

【現代語訳】

「山の奥にはな、猫又という化け物がいて、人を捕って喰うそうじゃ」と、人々がうわさしていたら、中の一人が「山奥までいかなくても、ここら辺でも、猫は年老いたら猫又になって、人を食うことがあるらしいぞ」と言いました。

それを聞いたある僧侶。暗い夜道を怯えながら通っていたら、猫又に襲われて!しかし、その猫又の正体は、実は・・・という話です。

詳細はこちら↓をご覧ください。

ねこまた

根岸鎮衛『耳嚢(みみぶくろ)』の猫又(江戸時代)

『耳嚢』は、根岸鎮衛によって天明~文化の三十余年間にわたって書継がれた随筆集です。化け猫・猫又の話がいくつか出てきまが、その中に、猫又についての説明があります。その該当部分を書き出します。

巻之四 猫物を言ふ事

以下、現代語訳はnekohon、原文は岩波文庫、校注は長谷川強氏によるものです。

現代語(逐語訳ではありません)

寛政七年の春、牛込山伏町の何とかという寺院が、猫を可愛がっていたが、庭で遊ぶ鳩を狙っていたので、声を出して鳩を逃がしてあげたら、猫が「残念なり」と言ったので和尚さんは大いに驚いて、猫が勝手の方へ逃げようとしたのを抑えて小刀を出して、「お前、動物なのに物をいうとはあやしい。化け猫か、人をも騙すのか。もうバレちゃったのだから素直に言え。言わなきゃ、坊主は殺生をしてはいけないという掟を破ってお前を殺しちゃうぞ」と脅しつけたので、猫が答えるには「猫が言葉を話すのは、なにも自分に限ったことではありません、十年余りも生きればどの猫だって言葉くらい話します。それより十四、五年も過ぎれば、神通力をも得ちゃいます。でもそこまで長生きできる猫はいません」「ではお前が話せるのはわかったけど、まだ十年生きてないじゃないか」「狐と交わって生まれた猫は、十年に満たなくても話せるんですよ」「そういう事情なら、他に聞いている者もいなかったことだし、ずっと飼ってきたのだから今更困ることもないだろう。これまで通りここで暮らしなさい」と和尚さんが言ったので、猫は和尚さんを繰り返し拝んで出て行ったが、それきり行方不明になってしまったと、その近所に住んでいた人が言っていた。

原文と校注

寛政七年の春、牛込山伏町の何とか言へる寺院、秘蔵してを飼けるに、庭に下りし鳩の心よく遊ぶを睍(ね)らひける様子故、声を掛け鳩を逐ひ逃しけるに右、「残念也」と物言ひしを和尚大に驚き、右勝手の方へ逃しを押へて小束持(こづかもち)、「汝畜類として物を言ふ事奇怪至極也。全く化け候か、人をもたぶらかしなん。一旦人語を為す上は真直に尚又可申(もうすべし)。若(もし)いなみ候に於いては我殺生戒(せっしょうかい)を破りて汝を殺ん」と憤りければ、彼申けるは、「の物を言ふ事我等に不限(かぎらず)、拾年余も生き候へば都(すべ)て物は申ものにて、夫(それ)より拾四、五年も過候へば神変を得候事也。併(しかしながら)右之年数命を保(たもち)候無之(これなき)」由を申ける故、「然らば汝物言ふもわかりぬれど、未(いまだ)拾年の齢に非(あら)ず」と尋問しに、「狐と交りて生れしは、其年功なくとも物言ふ事也」とぞ答ける故、「然らば今日物言ひしを外に聞ける者なし。我暫くも飼置(かいおき)たる上は何か苦しからん。是迄(これまで)の通(とおり)可罷在(まかりあるべし)」と和尚申ければ、和尚へ対し三拝をなして出行(いでゆき)しが、其後はいづちへ行しか見へざりしと、彼最寄(もより)に住める人の語り侍る。

ISBN:9784003023120 page35-36

  • 牛込山伏町—新宿区谷山伏町。
  • 小束—刀の鞘の外側にさす小刀。

『耳嚢』詳細はこちら↓のページをご覧ください。

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『甲子夜話』の踊る猫の話

『甲子夜話』(かっしやわ)は、平戸藩主だった平戸松浦家34代・清(きよし)の随筆です。文政4(1821)年11月17日の「甲子の夜」から書き始められ、天保12(1841)年6月死去まで書き続けられました。正編100冊・続編100冊・三編78冊の合計278冊約7,000項目。

内容は、あちこちから聞いた話や噂等を書き留めたもので、中にはほとんどゴシップみたいな小話から、大塩平八郎の乱やシーボルト事件に関する話までと多様で、当時の生活がよくわかる資料となっています。

その中に、手巾をかぶって踊る猫の話がでてきます。「猫又」の語こそありませんが、その様子はまさに猫又。以下、平凡社東洋文庫『甲子夜話1』著:松浦静山、校訂:中村幸彦, 中野三敏(電子書籍版 8916120333666)から引用させていただきます。

巻二 〔三四〕

先年角筈(つのはず)村に住給へる伯母夫人に仕(つかゆ)る医、高木伯仙と云るが話(はなせ)しは、我生国は下総(しもふさ)の佐倉にて、亡父或夜睡後に枕頭に音あり。寤(さめ)て見るに、久く畜(か)ひし猫の、首に手巾を被りて立、手をあげて招(まねく)が如く、そのさま小児の跳舞(とびまふ)が如し。父即枕刀を取て斬んとす。猫駭(おどろき)走(はしり)て行所を知らず。それより家に帰らずと。然ば世に猫の踊と謂(いう)こと妄言にあらず。

『甲子夜話』巻二 〔三四〕

【大意】

角筈(つのはず)村の伯母に使える医者・高木伯仙から聞いた話。自分は下総の佐倉というところに生まれたが、亡父がある夜、枕元に音がして目が覚めると、長く飼っていた猫が、首に手巾を被って二本足で立ち、手を挙げて招くように踊っていた。父は即座に刀をとって斬ろうとしたが、猫は驚いてどこかへ走り去り、それきり戻ってこなかった。「踊る猫」の伝説、本当にいたんだなあ。

巻七 〔二四〕

猫のをどりのこと前に云へり。又聞く、光照夫人の〔予が伯母、稲垣侯の奥方〕角筈(つのはず)村に住玉ひしとき仕し婦の今は鳥越邸に仕ふるが語しは、夫人の飼給ひし黒毛の老猫、或夜かの婦の枕頭に於てをどるまゝ、衾引かつぎて臥たるに、後足にて立てをどる足音よく聞へしとなり。又この猫、常に障子のたぐひは自ら能(よく)開きぬ。是諸人の所ㇾ知なれども、如何にして開きしと云こと知ものなしと也。

『甲子夜話』巻七〔二四〕

【大意】

猫の踊りの事を前に書いた、また聞いた。光照夫人(私の伯母、稲垣侯の奥方)〕が角筈(つのはず)村に住んでいたときに仕えていた女が語ったことには、夫人が飼っていた黒毛の老猫、ある夜、その女の枕許で踊ったので、女はふとんを頭からかぶって伏せていたが、猫が二本足で踊っている足音がよく聞こえたそうだ。この猫は、障子も自分で開けたそうだ。どこから漏れたか誰もが知っている噂だったと。


日本猫に短尾が多いわけ

上記の通り、猫が猫又になると「尾が二股に割れる」という特徴がありました。そのせいもあって、江戸時代には短尾の猫が好まれ、日本中に増えました。

猫好き画家・歌川国芳が描いた猫も、多くが短尾です。しかし、手ぬぐいをかぶって踊る二股尾の猫も混じっていますね。

※この中で猫又は、中央で手ぬぐいをかぶって踊っている三毛猫。尾は二股に分かれている。

この猫の尻尾も、見方によっては、二股に分かれている?

くるるん「ちがうよ~♡ハート型♡って呼んで!」

「ねこまた」の句

猫又の頭こつきり木の実哉(かな)《一茶》
こっきり=こつんと

ねこまたになりそうな三味(しゃみ)庄屋出し《柳多留※》

遣り手が綾いく度取っても猫俣《柳多留》

猫またの踊りにゃんにゃとほめる也《柳多留》

二股の猫けちらかす国家老《柳多留》
国家老=主君参勤の留守を預かった家老

猫股を退治てかへる国家老《柳多留》

猫股を捕へてみれば後の母《川柳》
後の母=継母

飼犬だのに猫またよゝ(ねこまたよ)《柳多留》
飼い犬を猫股とまちがえた

※柳多留=《誹風柳多留》《柳樽》とも。 1765年―1838年に167編刊行された川柳句集。

参考文献

猫又山(富山県魚津市)

山域: 北アルプス北部
都道府県: 富山県
標高: 2,378m

https://goo.gl/maps/CJpaRn4cn6j7MB8G6

猫股坂(東京都文京区)

千石2丁目と3丁目の間にある緩やかな坂。詳細は↓

ねこまたが出てくる小説

江戸時代の猫又といえばおどろおどろしい化け物扱いがほとんどでした。が、最近の小説に登場する猫又たちは、恐ろしいどころか愛らしいキャラクターで描かれることが多くなりました。

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