水虎

すいこ

水虎とシロロ

「水虎」とは

中国湖北省などの川にいたとされる伝説上の生き物。

日本では、河童のような川に住む妖怪の総称。

日本の河童のイメージはこれですね

日本の「河童」とは

『広辞苑』第六版 岩波書店より

かっぱ【河童】(カハワッパの約)

  1. 想像上の動物。水陸両生、形は四~五歳の子供のようで、顔は虎に似、くちばしはとがり、身にうろこや甲羅があり、毛髪は少なく、頭上に凹みがあって、少量の水を容れる。その水のある間は陸上でも力強く、他の動物を水中に引き入れて血を吸う。河郎。河伯。河太郎。旅の人。かわっぱ。
  2. 水泳の上手な人。
  3. 頭髪のまんなかを剃り、周りを残したもの。→おかっぱ。
  4. 見世物などの木戸にいて、観客を呼び込む者。合羽。
  5. (側に船を浮かべて客を呼ぶところから)江戸の柳原や本所などにいた私娼。
  6. (河童1の好物であるからという)キュウリの異称。

河童(カッパ)の言い伝えは?

よくいわれるのは、こんなところでしょうか。

  • キュウリが大好き。
  • 相撲が好き。
  • いたずらも好き。こらしめれば反省することもある。
  • 仲良しになれば何にでも効く薬をくれたりする 。
  • 人の尻子玉を抜く。
  • 女好きな面も。(喜多川歌麿「海女と河童」図、等)

「吾輩こそ、本物の水虎である。河童め、出てきてみろ、お前を捕えることなんて吾輩にかかれば屁の河童だぞ」

河童といえばきゅうり。なぜ?

水神様へのお供え物がキュウリだったから、という説が有力

河童はかつては水神(あるいは堕落した水神)だったと言われています。河童の相撲好き、というのも、かつて相撲は神事と深い関係があったからのようです。

さて、水神といえば牛頭天王(ごずてんのう)。武搭天神やスサノヲノミコトと同一視されたりもする神で、八坂神社の主祭神でもあります。

八坂神社とは
平安京遷都(七九四)以前より鎮座する古社で、「祇園さん」と呼ばれ親しまれております。
主祭神の素戔嗚尊(すさのをのみこと)はあらゆる災いを祓う神様として信仰されており、境内には数多くの神様をお祀りしております。
全国約二、三〇〇社鎮座する八坂神社、祇園信仰神社の総本社です。

https://www.yasaka-jinja.or.jp/

さて、水神様へのお供え物には、キュウリが使われます。その理由は、牛頭天王の好物だったからとか、八坂神社の神紋=木瓜紋が輪切りにしたキュウリの断面と似ているから、等といわれているようです。そのキュウリと河童が結び付けられた、というわけです。

キュウリって、日本に入ってきたのは6世紀ごろと、歴史の古い野菜なんですね。インドのヒマラヤ山脈原産だそうです。最初は味もまずく、薬用だったとか。それが品種改良されて、一気に広まったのは江戸時代も末期。今や日本の夏には欠かせない野菜ですよね。

その他の説

  1. キュウリが人間の味に似ているから。川に入る前にキュウリを投げ込めば、河童に水に引きずり込まれない。
  2. 河童は皮膚が乾燥しないよう、陸に上がるときはキュウリを体に巻いていた。
  3. 若い娘のあそことキュウリのにおいが似ているから。

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松浦清『甲子夜話』

『甲子夜話』(かっしやわ)は、平戸藩主だった平戸松浦家34代・清(きよし)の随筆。文政4(1821)年11月17日の「甲子の夜」から書き始められ、天保12(1841)年6月死去まで書き続けられました。正編100冊・続編100冊・三編78冊の合計278冊、約7,000項目と長大。

その中に河太郎が人をだましたり、人間の女児をはらませたりした話が出てきます。江戸時代の人々が河童をどのように考えていたかが解る資料です。

以下、楽天KOBOにて購入の電子書籍『甲子夜話』(東洋文庫)より引用。

【河太郎が小児に化けて水中から呼んだ話】

御留守居、室賀山城守は小川町に住めり。其中間(ちゅうげん)、九段弁慶掘の端を通りしに、折ふし深更小雨ふりて闇(くら)かりしが、水中よりその中間の名を呼ぶ。因て見るに、小児水中にありて招くゆゑ、近辺の小児誤(あやまり)て陥(おち)たるならんと思ひ、救はんとて手をさし延ければ、即その手に取つくゆゑ、岡へ引上んとしけるが、その力盤石の如くにして少も不ㇾ動、却て中間次第に水中に引入らるゝゆゑ、始て恐れ、力を極めて我が手を引取、直に屋敷に馳帰り、人心地なく忙然となりけり。人々打より見るに、衣服も沾湿して、その上臭腥の気たへがたき程なりければ、奇集て水かけ、洗そゝげども臭気去らず。その人翌朝にいたり、漸々に人事を弁(わきまゆ)るほどにはなりしが、疲弊甚しく、四五日にして常に復せり。腥臭の気もやう〱にして脱たりとなり。所謂河太郎なるべしと人々評せり。

『甲子夜話』巻十〔一九〕

【河太郎と女児が交わって卵を産んだ話】

平戸宝亀村〔海つきの処なり〕にて、八歳の女子墦間(はんかん)に遊び居たるに、何か来てこれを交りたり。これより膰身の如くなりて、遂に卵を産す。里人は皆狐と交て然りと云ふ。予聞て曰。これ狐に非ず、河太郎の所為なるべし。河太郎、婦女と交接して子を産すること、領内の小値加(をぢか)〔大嶋、人居多し。肥前の地〕にあり。他邦も筑前、日向、豊後等に其ことありと云。其産するもの皆卵なり。河太郎は亀の属、腹背に介あり〔これは享保中本荘の川辺に獲し河太郎の真写あり。人容にして介甲あり。別に又一図を収む。其状同じ〕。又亀は卵生と聞たるが、荘の隣宅、池水の辺にて卵を得しものあり。破て見れば内に亀形を成せり。その介甲つぼみて、巻煎餅の如くなりしと。これ人子の胎中に朗僂(かが)みて有ると同じ。然れば亀属のものは卵生なること證すべし。若し狐ならば獣類、必ず其状異なるべし。又河太郎の領内にあるを見し者の言を聞くに、小児の如し。立て能く歩むとなり。然れば破砕の女子と交接するも怪む可らず。又『毉経』に、女子は七歳にて腎気盛歯更云云。故有ㇾ子、の文あれば、八歳にても交接すれば子を生ずるか。かの女子いく程なく死せりと云。又聞く、総て河太の子を産する者、始めは発熱尤も甚くして、三四月を経て産す。沫の多きが如にして、卵なりと。夫より後廃忘の人となると。

『甲子夜話』巻十八〔一七〕

文例

曲亭馬琴(1767-1848年)『南総里見八犬伝

「虎の在(を)る山を背(うしろ)にして、河原を護(まも)るは何事ぞ。河太郎を水虎といへば、虎も亦水に栖(す)む、者とや思ふ烏滸(をこ)なり」と云ふ、京童(きょうわらべ)の癖なれば、亦復(またまた)是等(これら)の悪評あり。

第九輯 巻之二十八 第百四十四回 ISBN:9784003022481 page179

【口語訳】「虎が潜んでいる山を背にして、河原を見張って守るとは、何事だ!河太郎を水虎ともいうから、虎も水に住むものと勘違いしてる馬鹿ではないか」と、京の民衆の常として、またまた悪評がたった。

古い名画から抜け出た巨虎が、人をつぎつぎと襲って、京の人々を恐怖に陥れる場面です。

細河左京兆政元(ほそかわさきょうのちょうまさもと)は猟師や武士たちを集めて虎退治を命じますが、あまりの猛虎ぶりに屈強な男たちでさえ恐れ、「山は虎の棲家、人間は不利、山探しするより手前の河岸で待ち伏せして、虎が現れたら鉄砲で一斉射撃する方が効率的」と、河岸に並んで待つばかり。京の民衆はその様子に失望、ますます政元を悪評します。

その後この妖虎は、八犬士の一人、犬江新兵衛仁(いぬえしんべえまさし)が、虎の両眼を射抜き眉間を拳で殴って退治します。翌日には虎の死体は消えてしまいますが、それは元の画の中に戻ったからなのでした。

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