猫も杓子も
ねこもしゃくしも
【意味】
誰も彼も。どいつもこいつも。
*補足*
「女子(めこ=女)も弱子(じゃくし=子供)も」の転か。 一説に、杓子は主婦をさし、家内総出の意味から。
また、猫を珍しいもの、杓子を どこの家にもある珍しくないものと見、どれもこれもの意とする説も。
(補足は『成語林』より引用)
それ以外の説として、「禰宜も釈氏も(ねぎもしゃくしも)」が転じたものとする説もある。「禰宜」は宮司の下位、権禰宜の上位に位置する神職、「釈氏」はお釈迦様のこと。つまり、神も仏も⇒誰もかれも、という意味になる。
【参考文献】
『成語林』旺文社、『広辞苑』岩波書店、『大漢語林』大修館書店、『四字熟語の辞典』三省堂、ほか。参考文献の全リストはこちら
【猫的解釈】
【雑学】
杓子とは
- 飯または汁などの食物をすくいとる具。 頭は小皿のようでこれに柄をつけたもの。 古くから木製と貝製とがあり、飯をすくうものを 飯匙(めしがい)と称した。 現在はステンレスなどの金属製が多い。 しゃもじ。
- (1)の頭のように丸くて中凹みの形。
- (杓子を家事の象徴として)主婦の座。
- いが栗の中で、身がはいっていない、(1)の形をした栗。
- (飯盛の意)賤妓・私娼の称。しゃくしかけ。
(以上『広辞苑』より引用)
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平岩米吉著『猫の歴史と奇話』より
(前略)
このほか、猫の死体を三つ叉の道の傍に埋め、その上に杓子を立てる習慣があったというが、その理由ははっきりしない。
昭和四十八年五月、読売新聞に山本友一氏の選で「猫の屍むくろ葬はふるならはし山路の三叉の傍に杓子立てあり」という歌が載った。作者は埼玉県秩父郡皆野町の四方田民雄氏である。そこで、同氏にお尋ねしたところ、古老の言葉として、次のような報告を受けた。
「猫は鼠などが台所を荒らすのを防いでくれるので、感謝の意味から、その葬った場所に台所の物(杓子とは限らない)を立てる。また、三方の辻(三つ叉のこと)を選ぶのは、そのような所は、人通りが多いので、なるべく多くの人に拝んでもらうためである。」
(中略)
なお、杓子を用いるのは、猫と杓子を取り合わせた諺と何か関係があるのではないだろうか。
「猫も杓子も」は言うまでもなく、誰も彼もという意味だが、その由来には、いろいろな説があるようだ。たとえば『さへづり草』には「禰子も杓子も」から出たものだろうとあり、また『一休咄』には洒脱の高層、一休禅師(一三九四~一四八一年)の歌をその出典として掲げてある。即ち「生まれては死ぬるなりけり、おしなべて釈迦も達磨も猫も杓子も」である。(p.29-30)
『猫の歴史と奇話』は力作です。お時間があれば、ぜひ。
猫に杓子はおすすめ
猫にはお玉が便利です。
いえ、玉という名前が便利という意味ではなく 猫の採尿をするときに、小さなお玉を使うと 便利だという話です。
猫は下部尿路疾患(F.L.U.T.D.)にかかりやすい動物です。 特に雄猫は尿道が先細りに細いため、 結晶(尿結石)がつまりやすく、 排尿できずにいると尿毒症を発症し、 数日で死んでしまうこともあります。
そのため、少しでもおかしいとおもったら 採尿して獣医さんに調べて貰う必要があります。
でも、猫さんに「はい、ここにチーして」 なんて容器を差し出しても、してくれるワケ無く 採尿には苦労します。
そんな時に活躍するのが「お玉」。 100均で小さめのを一つ用意しておきましょう!
【猫も杓子も:文例】
曲亭馬琴(1767-1848年)『南総里見八犬伝』
・・・「すはわが寺に事こそあれ。起(おき)よ、出(いで)よ。」と罵(ののし)りつつ、里人(さとびと)は棒を引提(ひきさげ)、荘客(ひゃくせう)は農具を携(たづさえ)、漁夫舟人(れうしふなおさ)、祢子も釈氏も(ねこもしゃくしも)、おの々先を争ふて、喘々(あへぎあへぎ)走り来つ。
【口語訳】「それ、我々のお寺が大変だぞ!起きろ!行こう!」と騒ぎつつ、里人は棒を引っ提げ、百姓は農具を携え、漁夫も舟人も、ねこもしゃくしも、各々先を争って、喘ぎ喘ぎ走ってきた。(管理人訳)
岩波文庫『南総里見八犬伝(一)』第四回 ISBN:9784003022412 page69
然(さ)しも烈(はげ)しき太刀風に、力士は多く痍(て)を負ひて、仆(たふ)るるもあり附すもあり。願八・盆作・碗九朗、及(また)本膳も狼も、猫も杓子も殺立(きりたて)られて、素藤(もとふじ)主僕方(まさ)に今、撃果(うちはた)さるべう見えたる折りから、(後略)
【口語訳】さしも激しい太刀風に、力士たちは多く傷つけられて、倒れるものあり伏せるものもあり。願八・盆作・碗九朗、また、本膳も狼も(以上すべて人名)、猫も杓子も斬り立てられて、素藤の主従たちはまさに今、討ち果たされてようと見えた時、・・・
第九輯 巻之十二上 第百十四回 ISBN:9784003022467 page256
しかれども三四百年来(このかた)、叡山の衆徒、奈良法師に、武勇の誉(ほまれ)あるも尠(すくな)からず、貓児も釈氏も推並(おしなべ)て、皆是国家の民なれば、義によりては弥陀の利剣を、振ざることを得ず。
【口語訳】けれども三~四百年このかた、比叡山の衆徒、奈良法師に、武勇の誉あるものもすくなからず、猫も杓子もおしなべて、みなこれ国家の民なので、義のために弥陀の利剣を振らなければならないこともあるのだ。
第九輯 巻之二十五 第百三十九回 ISBN:9784003022481 page81
最初の引用では祢子も釈氏もの字があてられていますが、下では猫も杓子もとなっています。『南総里見八犬伝』は、文化11年(1814年)~天保13年(1842年)と、28年もの長期にわたって書き続けられた超長作。この3か所が実際に執筆されたそれぞれ正確な年月日なんてわかりませんけれど、「第四回」が「第百十四回・第百三十九回」にいたるまでの間は何年もあったはず。その何年かで、 祢子より猫(貓児)の方が普及したのかな、なんせ令和の今でも盛んに使われる言葉だからなあ、と、猫愛好家の私は「さすが猫」とニンマリしちゃうのです。
熊谷達也『相剋の森 』
それから今日まで、幾度か廃刊の危機に見舞われはしたが、どうにか生きのこってきた。猫も杓子もという一時期のアウトドアブームは去ったにせよ、今の経済の落ち込みが、かえってうちのような雑誌社が生きながらえる環境を作っているのだと、加賀美は自嘲気味に言った。
ISBN:9784087460964 p.373
※東北の大自然の中で暮らす、昔ながらのマタギ達とツキノワグマ達を、壮大なスケールで描いた名著です。小説としても抜群に面白いが、自然/動物保護を考える最高の資料でもあります。)
井上ひさし『ドン松五郎の生活』
だいたい、わたしは猫も杓子もパパとかママとか言うのが気に入りませんね。お父さんでいいじゃありませんか。お母さんの方が語感が優しくて素敵じゃありませんか。
ISBN:9784101168043 p.198
米原万里『ヒトの雄は飼わないの?』
ひと頃、シベリアン・ハスキー犬がブームとなって、猫も杓子も買い求めたものだ。ところが、実際飼ってみると、シベリア狼の遠くない親戚筋にあたるハスキー犬は、食う肉の量も必要とする散歩の量も、けた違いである。
ISBN:9784167671037 p.11
エッセイ集。知的美女の米原氏の、猫たち犬たちに対する愛情、親ばかぶりに、思わずクスリと笑ってしまいます。