猫に小判(猫の前に小判)/猫に石仏/猫に念仏/犬に念仏 猫に経(豚に念仏 猫に経)
ねこにこばん(ねこのまえにこばん)
ねこにいしぼとけ
ねこにねんぶつ
いぬにねんぶつ ねこにきょう(ぶたにねんぶつ ねこにきょう)
【意味】
人間には貴重な小判でも、猫には価値が無いし、 人間には有難い石仏やお経でも、猫にはわからない。 ありがたいものを見せても効果や反応を示さないこと。
貴重な物を持っていても、その価値の分からない人にとっては なんの役にもたたないこと。
また、理解力のない(理解しようとしない)者に、 高度な真理や立派な道理を説いても意味が無いたとえ。

【類】
馬の耳に念仏 うまのみみにねんぶつ
犬に論語 いぬにろんご
雀に鞠 すずめにまり
豚に真珠 ぶたにしんじゅ

「にゃむみゃいだ~」
【外国では】
(英)Cast not pearls before swine.直訳:豚の前に真珠を投げるな。

それ、真珠じゃないけどね。
【参考文献】
『成語林』旺文社、『広辞苑』岩波書店、『大漢語林』大修館書店、『四字熟語の辞典』三省堂、ほか。参考文献の全リストはこちら
【猫的解釈】
小判は転がらないし、固いからかじっても面白くないにゃ。価値ないニャ。
その点、新聞紙を丸めたものは、軽いし、よく転がるし、カサカサ音がするし、楽しいニャ。
小判より、だんぜん、新聞紙にゃ~~~!
【雑学】
浮世絵に描かれた猫諺
江戸時代の浮世絵師、歌川国芳による『たとえ尽(つくし)の内』という画に、 猫のことわざが描かれている。 国芳はほかにも多数の猫画を残した。

- 猫を被る
- 猫に鰹節
- 猫に小判
- 猫の尻に才槌(さいづち)
【歌川国芳(うたがわ くによし)】
1797-1861年。浮世絵師。号は一勇斎・朝桜楼。初世歌川富国の門人。
武者絵・風景画・戯画に長じた。門人に、月岡芳年・落合芳幾・河鍋暁斎その他多数。
大変な愛猫家で、何頭もの猫を飼い、亡くなれば必ず戒名をつけ仏壇に祭ったという。 また、自身を絵に描きいれるときは、顔を出さなくても隣に猫を置くことで それが自分であることを示したり、本来の画号を使えない艶本には、 「猫」の文字を入れた号をつかって「私だよ」と暗示した。
猫に黄金
曲亭馬琴(1767-1848年)の名著『南総里見八犬伝』では、「猫に黄金(こがね)」という表現で出てくる。
「(前略)かくは得がたき名刀を、荘官づれが手に落とさば、俗(よ)にいふ猫に黄金(こがね)ならん、且(かつ)彼(かの)夫婦が欲するところ、われを愛してこの刀を、摺替(すりかえ)させんとにはあらず。この刀を略(とら)せん為に、われを愛するおももちするか。(以下略)
第三輯 巻之二 第二十七回 ISBN:9784003022429 page134