両虎相闘えば勢い倶には生きず
りょうこあいたたかえばいきおいともにはいきず
【意味】
二頭の虎が闘えば両方とも生き残ることはあり得ず、必ずどちらかが倒れる。
強豪どうしが戦い合えば、必ず一方は倒れるということのたとえ。
【類】
両雄並び立たず りょうゆうならびたたず
【参考文献】
『成語林』旺文社、『広辞苑』岩波書店、『大漢語林』大修館書店、『四字熟語の辞典』三省堂、ほか。参考文献の全リストはこちら
【猫的解釈】
小さい方が圧倒的不利に見えますが、これはルールを守った じゃれ合いなので、むしろ小さい方がやりたい放題に攻めます。
【雑学】
出典
『史記しき』廉頗藺相如伝れんぱりんしょうじょでん
彊(つよ)き秦(しん)の敢えて兵を趙(ちょう)に加えざる所以(ゆえん)は、徒(ただ)吾(われ)ら両人の在るを以ってなり。今両虎共に闘わば、其の勢い俱(とも)には生きざらん。
※『成語林-故事ことわざ慣用句』旺文社より引用
攻撃と抑制
コンラート・ローレンツ博士といえば、ノーベル賞を受賞した有名な動物学者。
そのベストセラー 『ソロモンの指輪 』 の最終章は、動物の戦いと抑制について書かれている。
まず、ノウサギの戦い。 どうしてどうして、なかなか激しい。
次は、キジバトとジュズカケバトの戦い。 これは飼育かごの中という特殊な状況におかれたハト達である。 まさに壮絶としか言いようがない。 負けたキジバトは、羽をむしられて丸坊主にされ、 さらに皮も剥かれて虫の息、 勝者のジュズカケバトも疲れてフラフラだが、 それでもキジバトへの執拗な攻撃を止めない。
ウサギやハトといえば、大人しい平和な生き物という印象が強い。 その彼らにして、これほどの戦いぶりだ。
となれば、
「二匹のオオカミが、大きな狂暴な猛獣であるオオカミが、 仮借無い残酷さの権化であるあのオオカミが、 真剣に闘いあうときにどんなことが起こるか」!!
ところが、である。
不利を悟った方のオオカミは、「服従の姿勢」をとる。 すると、勝った方のオオカミは攻撃を止めるのである。
勝者が敗者を殺すことが容易にできるような強い動物であるほど、社会的抑制も強く働くというのである。
しかも、
「これまで知られている社会性動物の服従の態度や姿勢は、 すべて同じ原理にもとづいている。
情けを乞うほうの個体は、攻撃者にむかってつねに彼の体のもっとも弱い部分、より正確にいうならば、敵が殺そうとしておそいかかるときに必ずねらう部分をさしだすのだ。」
喉を差し出されたオオカミは、敗者を咬めなくなる。 咬みたくても咬めない心理状態になるのだという。 最も発達した騎士道精神と比べても遜色ないオオカミの道徳だ。
ダメ押しばかりする横綱さん、少しはオオカミを見習いたまえ。
ローレンツは続ける。
「オオカミが咬みつけないということを、私は感動的ですばらしいことだと思う。 だが相手がそれに信頼しきっているということは、それにもましてすばらしいことではないだろうか。 一匹の動物が、じぶんの命を相手の騎士道的な作法に托すのだ!」
「ある種類の動物がその進化の歩みのうちに、一撃で仲間を殺せるほどの武器を発達させたとする。 そうなったときその動物は、武器の進化と平行して、種の存続をおびやかしかねないその武器の使用を妨げるような社会的抑制をも発達させねばならなかった。」
ところが
「自分の体とは無関係に発達した武器をもつ動物が、たった一ついる。 したがってこの動物が生まれつき持っている種特有の行動様式は、 この武器の使い方を知らない。 武器相応に強力な抑制は用意されていないのだ。
この動物は人間である。」
ローレンツは、
「われわれの本能にはとうてい信頼しきれない・・・」
と、人間の未来を危惧する言葉で本を締めくくっている。
ところで、トラは基本的に単独生活者だから、オオカミほど強力な社会的抑制は見られないかもしれない。
それでも、「両虎相闘えば勢い倶には生きず」なんて諺まで作って「虎はひとたび戦えば、必ずどちらかが死ぬまで戦う」とは、あまりに人間的発想ではないだろうか。 人間的すぎて虎は笑っているだろう。 「そんなバカな戦い方はしないさ」と。 トラだって無駄な抗争は極力避けるに決まっているのだ。
トラやオオカミに比べ、我々ヒトは、武器の点でも精神の点でも、いかにも未完成な肉食獣と自覚すべきである。
↑両雄相舐め合えば勢い共に眠らん
【参考文献】
●『ソロモンの指輪 』 ローレンツ著、日高敏隆訳 早川書房